あらし山の風

雲の変化を愛でて、自然の移ろいを語り、人生の機微を楽しむ。ある時はミカン山から、ある時は雑踏の中から、雲の変化の如く・・・。
<< April 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
 
PR
CATEGORIES
RECENT COMMENT
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
令和のトイレットペーパー騒動

 ある日、友人から”トイレットベーバーを買いに来たんだけど、どこに行ってもない”と電話があった。まさかと思い、食料品の調達に山を下りたついでにスーパー薬局に立ち寄ると、あれほど沢山積んであったトイレットペーバーが軒並み消えていた

 昭和48年の石油ショックの折に紙がなくなるという噂が流れ、千里ニュータウンにあった大丸で瞬く間にトイレットペーバーが売り切れ無くなったことを新聞が書き立て騒ぎが大きくなり、騒動にまで発展した。当時は中東戦争のさなかで原油高騰により紙が本当に無くなるかもしれないという集団心理から各地に飛び火し、トイレットペーパーを求めて長蛇の列ができ全国に連鎖的に拡大した。これは、高度経済成長で大量消費に慣れていた日本人が、急に”物不足の恐怖”に直面したためと言われている。ただ、当時の日本の紙生産は安定しており、このパニックが発生した後は生産量の増加も行っていたようである。

 そして、今回の新型コロナウィルスが世界的に感染拡大している最中におきた「令和のトイレットペーパー騒動」である。”トイレットペーバーは中国で製造されているため、これから不足する”という誤った情報が拡散し、政府や業界団体が在庫は十分にあるという中で、全国各地でトイレットベーバーやテイッシュベーバーなどの紙製品が店頭から消え、海外でも同様なことが起こっているという。

 昭和のトイレットペーバー騒動の当時、学生で大阪にいたので一体なにがおこったんだろうと思ってながめていた。全国的といいながら、まだ足元には届いておらず少し余裕があった感がある。

 しかし、今回の令和の騒動はSNSの普及によって誤った情報が瞬く間に拡散し、アッという間にあらし山の麓まで届いている。大変な世の中になったものだ。

 

【スーパー薬局のトイレットペーパー売り場】

トイレットペーパーが消える

あらし山「ベートーヴェンの庭」

 あらしやま山荘の庭にある枝垂れ梅の蕾が膨らみ始めました。

 冬になると、この庭を眺めてベートーヴェンの「田園」を聴きながら”朝フル”タイムです。

 ベートーヴェンが重度の難聴を患い、失意のうちに移り住んだ「ハイリゲンシュタット」を想いながら聴くと格別です。

 目の前の老梅が苦悩するベートーヴェンに見え、緑豊かなウィーン森の抱かれたハイリゲンシュタットを散策する姿が想い描かれます。その散策するペートーヴェンの姿をまねて撮ったのが、宮澤賢治の有名な物思いにふける姿の写真です。

 そして、この地で生まれた名曲が「交響曲第6番・田園」です。

 田園は40分程の曲で、次の五つの楽章からなります。

 

  第1楽章「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」

  第2楽章「小川のほとりの情景」

  第3楽章「田舎の人々の楽しい集い」

  第4楽章「雷雨、嵐」

  第5楽章「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」

 

 今は、この庭を”ベートーヴェンの庭”と称し、山間の庭を楽しんでいます。

 

【第5楽章 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち】

あらし山チロルの谷

 先々月の15日、公益社団法人 大日本報徳社の鷲山社長ご夫妻が”あらしやま山荘”にみえられた。

 愛媛報徳社あらし山「報徳塾」の設立総会に出席のため、遠路、静岡県掛川市からお越しいただいた。

 ご夫妻の”あらし山”滞在は実に七年ぶり、年輪塾の「尊徳公開セミナー」に出席いただくために、二宮金次郎七代目のご子孫である中桐さんと一緒に"あらしやま山荘"にお見えになって以来である。その時は暴風雨で、真っ暗な山道を辿り着かれたために、ゆっくり周りを見る余裕はなかったようであるが、今回は秋晴れに恵まれて、ゆっくり滞在していただいた。

 鷲山社長は元東京学芸大学の学長さん、奥様は東京外国語大学の名誉教授で、それぞれドイツ文学とドイツ演劇がご専門である。

 二宮金次郎を介しての不思議なご縁である。

 

 設立総会を終えて帰られる朝のこと、鷲山社長が”あらしやま山荘”の二階に腰掛けられ、こう言われた。

 「ここの眺めはいいねぇ。

  以前、チロルの谷に行ったことがあり、もう一度行きたいと思っていたんだが、ここで十分だねぇ。

  ・・と。

 ”あらしやま山荘”は、昭和7年から標高200mの石垣の上に建っている。

 この地で10代営々と暮らしており、ここから見える眺めが大好きで私の原風景でもある。

 ここに来るためには2Kmほどの山道を車で走るが、初めての人には”この先に家があるのか?”と尋ねられたりもする。

 それでも、こんなに褒めていただいたことはない。

 

 そうだ、これから「あらし山チロルの谷」と呼ぶことにしよう!

 山あいの一軒家でも人は来る!

 有難い、ミカン山が喜んでいる!

 

【あらしやま山荘からの原風景 】

あらし山チロルの谷(2)

【あらしやま山荘からの原風景 】

あらし山チロルの谷(1)

 

ハナミズキ(花水木)

   あらし山の”ハナミズキ”が白い花を咲かせている。

 山荘への私道の入口に何本か植えたのだが、耕土が浅いためか枯れたりしたので都度植え直したり、夏は潅水をしたりしてきた。  そのせいか厳しい冬の寒波にも耐え、少しずつ大きくなり花を咲かせてくれている。

 ハナミズキの原産地は北アメリカ東部で、米国東海岸からミシシッピー川あたりまで自生しているという。

 そういえば、かつて読んだ”ジョン万次郎”の生涯を描いた小説「椿と花水木」(津本 陽)には、”花水木(ドック・ウッド)の薄紅や白の花が、けざやかに浮き立ちフェアヘブンの町なみの眺めをにぎわす六月がきた。”、という文章がある。万次郎が乗っていた漁船が難破し、漂流していたところを助けてくれた捕鯨船のホィットフィールド船長に伴われ過ごしたフェアヘブンの町はマサチューセッツ州にある。

 ハナミズキは米国では「ドッグ・ウッド」といい、この小説の「ドッグ・ウッド」の章には万次郎とキャサリンの淡い恋が描かれている。この恋が実際にあったかどうかは不明だが、多感な青年期の万次郎が米国で恋をしたと考えても不思議ではない。むしろ、このノン・フィクションかもしれない恋が、小説の中の万次郎を明るいものにしている。

 ”椿”は万次郎の生まれ育った足摺岬を、”花水木”は教育を受けた米国の街なみを表していると思うが、案外、万次郎とキャサリンの淡い恋心かもしれない。

 

 花水木には、一青窈”さんが作詞した「ハナミズキ」という名曲がある。

♬ 空を押し上げて

  手を伸ばす君 五月のこと
  どうか来てほしい
  水際まで来てほしい
  つぼみをあげよう
  庭のハナミズキ

  薄紅色の可愛い君のね
  果てない夢がちゃんと
  終わりますように
  君と好きな人が
  百年続きますように

 

 歌ってみたいと思うが、なにせリズムが難しい。

 でも花水木の花が綺麗に咲いてくれたので、ちよっと頑張ってみるかな。

 

【あらし山のハナミズキ】

180410ハナミズキ

コブシ(kobus)の花が咲いた

   あらし山のコブシの花が咲いた。

 苗木を植えてから、いつかいつかと心待ちにしていたが、ようやく花が咲いた。

 と言っても、♪こぶし咲く あの丘 北国の〜♪という「北国の春」の歌詞に出てくるから植えたわけではない。

 

 ”生きている鳥たちが 生きて飛び回る空を

  あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは

    目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう

  近づいてご覧なさい 辛夷(こぶし)の花があるでしょう”

 ・・という、学生の時に高石ともやとナターシャセブンの「宵々山コンサート」のレコードで聴いた、この歌に共感したからである。

 「私の子供たちへ」という歌であること、作者は笠木透さんであることは後で知った。

 とにかく、レコードから歌詞を聞き取り、演奏すべくコードを探った。

 この歌は田舎の自然の中で育った者として、この環境をどう次代に遺していくかという問題提起をしてくれた。

 これが、今の「あらし山」の原点になっている。

 ”父さんは”というところは、”爺ちゃんは”となってはいるが・・。

 

 この花はモクレン科で、学名は”kobus”というらしい。

 別名「田打桜(たうちざくら)」や「種まき桜」ともいい、昔の人はこの花が咲く頃に 田植えを始めたり、種を蒔いたりした。花の向きから豊作になるとどうかを占ったりしたようである。蕾が開く直前の形が子供の握りこぶしに似ていることや、コブシの実はゴツゴツしていることから”こぶし”と名がついたとも言われる。

 花言葉は「信頼」である。

 

コブシの花

「達成」の桜

   2011年の桜は「再起動の桜」であった。

 長い間勤務した職場を退職した時に新居浜の武田さんから”リセット&再起動ですね”とのメッセージをいただいた。

 あぁ、そうかと思い、その年の桜は「再起動の桜」とした。

 今年は「達成の桜」である。

 両親がリタイアし、どうしようかと思っていた生家を「あらしやま山荘」としてリニューアルし、代々のミカン山も「あらし山」として再生することができた。さらに、この地でいままで学んだことを反芻し、あらたに二宮金次郎の「報徳」と宮澤賢治の「農民芸術概論綱要」の融和をはかり実践をしてみようと思う。

 最後の仕事であった”気象の仕事”も、この3月末を以て終了した。

 これからは気象予報士を取得した初心に帰り、義務感なくライフワークとして取り組もうと思う。

 空をみあげ雲を観察し、季節を感じる、デジタルとアナログを融合させた「臨床気象学」を提唱したい。

 

 すでに82歳を人生の終焉と決めている。

 これは、あらしやま山荘を建てた祖父が亡くなった歳である。

 そして75歳をミカン作りの最後の歳と決めている。

 それは父の後ろ姿をみているからである。

 その歳になるとミカンのコンテナを持ち上げることが難しくなる。

 となると、あと10年が実働年齢といういうことになる。

 「大學」に”物に本末あり事に終始あり先後する所を知れば、則ち道に近し”とある。

 世間では今日から新年度が始まるが、あらし山では本日からラストステージが始まる。

 悠々自適なんて思っているわけではない。

 私にとって「農」は業(なりわい)ではなく、”行(ぎょう)”である。

 これから、あらし山で自然と向かい合い天理を読み解き「農行」をしたいと思う。

 この歳になって、ようやく「西行」に辿りついた

 「風を読む」日々が待っている!

 

 -- 「倚りかからず -----

 もはや、できあいの思想には倚りかかりたくない
 もはや、できあいの宗教には倚りかかりたくない
 
もはや、できあいの学問には倚りかかりたくない
 
もはや、いかなる権威にも倚りかかりたくはない

 ながく生きて、心底学んだのはそれぐらい
 じぶんの耳目、じぶんの二本足のみで立っていて
 なに不都合のことやある

 倚りかかるとすれば
 それは
、椅子の背もたれだけ

   (茨木のり子 「言の葉」より)

 

【桜が満開のあらし山】

桜2018

枝垂れ梅満開

   あらしやま山荘の枝垂れ梅が満開になった。

 この枝垂れ梅は、祖父から生まれた時には、庭にこのような状態であったと聞いている。

 我が あらしやま山荘の庭のシンボルである。

 毎朝、この梅の樹を眺めながら、朝食にフルーツを食べて、楽器を弾くのが日課となっている。

 去年は2月19日に満開でしたが、今年は3月3日が満開となった。

 二週間ほど開花が遅れたことになる。

 梅の開花は、桜と比べて規則性に乏しく開花時期の比較は難しいと言われているが、そんなことはない。

 梅は梅でキチンと冬の気象状況を教えてくれている。

 今年は梅の開花が遅れ、桜の開花は早まるようだ。

 さて、そうなるとミカンの芽立ちや開花はどうなるのか。

 これで品質が決まりそうなので・・・。

 とは言え、梅は咲いたが桜はまだかいなぁ〜の気分である。

 

180303枝垂れ梅満開

あらし山の紅茶

 愛媛県東予地方の山間にある新宮町に「脇製茶場」がある。

 この脇製茶場の先々代は、静岡で選抜されたばかりの「ヤブキタ種」をいち早く導入し、当時は困難とされていた挿木育苗に成功、四国全域に普及させ茶産地を育てた。近年では天敵利用で自然の生態系をとりもどすことに成功し、お茶の無農薬栽培を実現した。先代と私は気象予報士を取得した頃からのお天気の繋がりで、先代から私の念願はヤマチャを再生することで、山間に自生するヤマチャでお茶をつくりたいと言っておられた。そのヤマチャで作られたお茶を、美味しくいただいたことがある。ちなみに先代は、ご健在である。

 そして、あらし山で紅茶を作るキッカケは、もう一つある。

 それは日本紅茶の会の藤原さんと佐賀の全国地域づくり団体交流会で同室になり、”あらし山で紅茶を作らないか”と、以前からから言われていた。それも自生しているヤマチャを活かして、「My紅茶」を作らないかということであった。

 

あらし山の山茶

 よく考えると、ミカン山の方々にお茶の樹がある。

 ご先祖様が植えて、かつてはお茶を自給していたんだと思うが、いままでは邪魔になるので草刈り機で刈りとばしていた。

 それから何年かは、草を刈るたびに草刈り機で丸く剪定をしていた。

 今年の5月のある日、徳島でアイリッシュのMareka&Junjiのライブを聴きに行った帰りに、丹原のちろりん農園に立ち寄った際、西川さん手作りの紅茶をご馳走になった。

 早速、その作り方を伝授していただき、あらし山に帰りミカン山のヤマチャを茶摘みし、自製の紅茶を作ってみた。

 

あらし山の紅茶

 これが、なんと初めてにしては上出来で、イケルではないか!

 続いて、最初の紅茶づくりを総括し、お茶の葉の粉砕の度合いと発酵時間を再考し、再び挑戦。

 これはさすがに気に入ったものができた。

 おぉ〜、「あらし山の紅茶」ができたぁ!

 お茶というと雰囲気が大切である。

 あらしやま山荘の縁側は、陽当たり抜群、眺め良しである。

 ここでモーニングティをいただき、「予報士メール」を書くなどNetで仕事をすることに決めた。

 「あらし山Cafe」の開設である。

 

あらし山Cafe

 あらし山に来られたお客様には、「あらし山の紅茶」でお持てなし

 この「あらし山Cafe」に佇み、天気の良い日は仕事をする。

 「あらし山の紅茶」は憩いのひととき。 

 鳥のさえずりを聴きながら、陽当たり良好! 

 これって最高ですよぉ!

 

とかく還暦は忙しい!

  10月の最終土曜日に父の一周忌を行った。
 命日は11月12日だが、早いもので一年になる。
 庭には、ツワブキの花が咲き始めた。
 去年の父の葬儀の頃は天候が良く、菊の花も咲きほこり天候に恵まれたが、 
 今秋は、台風の影響もあり、天気がくずれることが多い。
 それにしても、還暦を迎えたというのに慌ただしい。

 3月は、父の初彼岸 
 4月は、松田麻美子先生の講演会
 6月は、城田じゅんじさんの松山ライブ
 7月は、農業高校の先生方の研修
 8月は、父の新盆
 9月は、鳥取の後輩(ブルーズ西尾)の訪問、高知街ラララ音楽祭への参加 
 10月、父の一周忌、長男の新居移転
 11月、徳島での城田じゅんじさんのライブ
 そして、年輪塾の中江藤樹先生の学習会(春の藤樹塾、夏の藤樹塾、秋の藤樹塾、冬の藤樹塾)。
 さらに、マンション管理組合の理事長に就任。
 と・・・・いう具合である。

 父の一周忌
 父の一周忌を終え、両親を見送り我が家は代替わりとなった
 この60代をどう生きるかで、70代が決まる。
 限りある人生、これからが自分のオりジナルだぁ。
 とかく還暦は忙しい。

 

孫たちの運動会

 10月の3連休の初日、孫が通ってる保育園の運動会に出かけた。
 孫の琥士郎は6歳
 初めての運動会では泣いて困らせていたが、皆の中で元気に走っていたのを見てホッとした。
 リレーは、なかでも一番嬉しそうで楽しげだった。
 香萌は4歳になり、今年から琥士郎と同じ保育園に通っている。
 小粒なので心配したが、”かけっこ”では先頭を走っていたから、良かった人並みだぁ。
 走ったり、跳んだり、時には転んだりするのもいい。
 リレーやかけっこを見ると、血が騒ぎ、”頑張れ〜”と応援したくなるから不思議である。
 これは、ヒトの基本的なDNAであるらしい。
 孫たちの運動会を見ていて、仕事場でもかって運動会があったことを思い出した。
 役職員が一同に集まって、家族も交え、孫たちのように運動会をするのだが、笑いが渦巻き楽しかったことを覚えている。
 それが、いつのまにか無くなった。
 運動会が無くなってから職場ではコミニュケーションが薄れていき、不祥事などが問題化したような気がする。
 
孫たちの運動会1孫たちの運動会2
 孫の琥士郎も来年は小学校に上がる。
 皆の中でうまくやっていけるのか心配だったが、案ずることはなさそうである。
 それにしても、大きくなったものだ。
 年が明けると61歳になる。
 孫たちが成長し、大きくなる度に老いていくが、
 来年は琥士郎と一緒に卒業し、新たに入学するとするか。
 ところで運動会をマイペースで楽しんだのは、
 孫の銀士郎かもしれない。
 お前も大きくなったなぁ。

孫たちの運動会3

(C) 2020 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.