あらし山の風

雲の変化を愛でて、自然の移ろいを語り、人生の機微を楽しむ。ある時はミカン山から、ある時は雑踏の中から、雲の変化の如く・・・。
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令和の彼岸花は、開花大幅遅れ!

  曼珠沙華は彼岸花と呼ばれ毎年秋の彼岸にあわせたかのように920日頃には花が咲く。しかし、今年は開花が遅れ、あらし山では101日頃になった。彼岸花の球根は、秋になると夏の眠りから覚め、何も見当たらない地面から突然花茎を伸ばしてきたかと思うと、あっという間に花を開く。開花するためには、日の最低気温が20℃前後まで下がってくる必要がある。下の図をみると、例年では9月上旬には最低気温が20℃前後で経過しているのに対して、今年は高く経過していることがわかる。興味深いのは、“彼岸の中日”に合わせるかのように気温が下がっていることで、これも彼岸花の開花には低温遭遇も必要とされていることと一致する。

 あらし山の彼岸頃の平均気温は22℃位で、最も過ごしやすい気温である。

 「暑さ寒さも彼岸まで」とは、よく言ったものだ。

 

【あらし山の清見タンゴールと彼岸花】

清見やまの彼岸花

令和の彼岸花の開花気温

明暗を分けた石垣の存在

 先日、NPO法人坂の上のクラウド利用研究会の理事長をしてもらっているJWFの牧さんから電話があった。

 ”田舎には、いろんな山道があるやろ。山道には溝があって山水が出ると排水路になっている。それが最近では廃園などが多くなって手入れができていない。それが詰まって機能せず、山水が脇にそれて流れて崩れるようになっているんじゃないか”というものだった。実に身につまされる話であり、他人事ではない!

 今回の梅雨最終の豪雨被害は凄まじい。

 平地の川が氾濫し浸水被害もさることながら、至る所で土砂崩れが起こっている。

 昨日、所用で出かけた折のこと、柑橘園がスダレのように土砂崩れが起きた光景が目の前に広がった。

 見ると近年の園地造成で、斜面に柑橘を植えているだけの園地である。

 近くの石組み(石垣)の園地には、被害は見られない

 この状況は、あらし山の地元でも同様で、それも先祖が築いた石垣において顕著である。

 それにしても昔の人はエライものだ、地形を知り排水のスベ(術)を知ってのことである。

 タネ(谷)筋毎に排水路を小まめに設け縦に通る山道も排水路である。

 今や車が通らない山道は手入れが滞り荒れている所が多いが、これらの山道こそ重要な排水路であることを今回の豪雨は教えてくれている。

 この教訓を忘れてはいけない!

 

【柑橘園の土砂崩れ】

2018明浜豪雨被害(1)

【園内の排水路】

2018明浜豪雨被害(2)

【昔ながらの石組みの園地(無被害)】

2018明浜の石垣(無被害)

 

”2018南海豪雨”と呼びたい!

 父から常々、”水はけ(排水)には注意しとけよ、大変なことになるぞ!”と言われていた。

 あらしやま山荘は、標高200mmのしかも高い石垣の上に建っており、家も人生も”崖っぷち”である。

 この5日から信じられないような豪雨となり、降り始めからの雨量はあらし山で”427mm”を記録した。

 6日と7日の二日間で”360mm”の雨が降ったのである。

 しかも山間であるために台風並みの強い風が吹き、家や石垣がいつ崩れるのかと生きた心地がしなかった。

 気象人ではあるが、初めて「集中豪雨」なるものを体験したわけである。

 いままで集中豪雨と言えば九州というイメージがあるが、今回は地形的に四国南西部、とりわけ豊後水道から入ってくる暖湿流が印象的だった。間違いなく温暖化により、太平洋高気圧の中心が高くなり、大陸からの寒気の張り出しも強く、その狭間の四国南西部を中心に豪雨となったものと思われる。これは単なる偶然ではなく、梅雨末期の大雨のパータンが変わったと認識せざるを得ず、今後、要注意である。

 確か去年の線状降水帯による豪雨は「九州北部豪雨」と名付けられたと思うが、今回は警鐘も含めて「南海豪雨」と呼びたいものである。

 

【1時間降水量が最大時の降水図】

7月7日降水レーダー

 

2018南海豪雨の気象(あらし山)

 

 テレビの天気解説での「太平洋高気圧の縁を回って梅雨前線に向かって暖かく湿った空気が次々と流れ込んできました」というのでは、ちょっと説明しきれず、”上空の太平洋高気圧北西側の暖湿流の集中域を上空の気圧の谷(偏西風南側の蛇行域)が通過したから起きた”と理解すればいいと思う。さらに台風8号の影響で太平洋高気圧が張り出し、上空の気圧の谷の東進をブロックしたために同じ場所で大雨が続いものと思われる。

 

南海豪雨解説図

 下の図はスーパーコンピューターによるシュミレーションである。

 紫色は下層雲で、図の書き込みを読めば今回の豪雨がイメージできる。

 

南海豪雨解説

 

 

平成29年春の桜事情

  今年の桜の開花は自分の記憶にないほど遅かった

 4月1日となると、去年まではとっくに満開近くなっており花見の頃到来である。

 それが今年の桜は蕾が固く、いっこうに咲く気配がない。

 ”Silent Spring”である。

 当初より、今年は西日本では休眠打破が鈍く関東より遅れる予想ではあったが、それに春先の低温が拍車をかけ異例の遅さになったものと思われる。

 それにしても、いつもより10日ほど桜の花が遅かった

 松山地方気象台の観測記録では、桜の開花が最も遅れた年は1957年(昭和32年)で、今年と同じく"酉年”である。

 過去の酉年をみると、

  ・1957年(昭和32年)は8月までは日照不足多雨傾向

  ・1969年(昭和44年)は西日本は梅雨の豪雨に見舞われ北日本は冷夏

  ・1981年(昭和56年)は春先に寒波が南下し夏から秋にかけて天候不安定

  ・1993年(平成5年)の夏は記録的な低温となり長雨と日照不足で平成の大凶作

 まさに「酉年は荒れる」の言い伝えのとおり不安定要素が多い。

 ”各々方、ご油断召さるなよ!”

 

■平成29年4月1日のあらし山の桜(今年)

170401桜開花せず

■平成28年4月2日のあらし山の桜(去年)

160402桜開花

ミカン作り名人おばあさん

 先日、「NPO法人 坂の上のクラウド利用研究会」の理事長農業法人JWF(ジェイ・ウイング・ファーム)の代表でもある牧 さんから電話があった。要件は、”本の中から、ある本が出てきてな。だいぶ前の本なんやけど、読み直してみるといい事が書いてある。今、やろうとしていることが全部書いてある。この本を書いた一ノ瀬さんは、よく知ってるんやないか。今は、どうされているのか知らないか?”というものであった。

 これらの本が書かれたのは1991年(左)と1995年(右)である。

 そして、私が愛媛県初となる気象予報士の資格を得たのは1995年のことである。

 その頃はインターネットの始まりの頃で、農業の情報化の必要性を感じた農業者たちが「農業情報利用研究会」を結成し、今の農業のIT化の先駆けとなった時期である。それを全国的に推進したのが農業情報利用研究会の事務局長であった田上隆一氏であり、最も強烈な影響を与えたのは、著者である株式会社IBC(宮崎県)社長の一ノ瀬正輝氏であった。彼は自社の社屋の屋上に気象衛星ひまわりの情報を直接受信する巨大なパラボラアンテナを設置し、現在は当たり前になったTVなどの気象衛星の画像解析の技術を開発した先駆者でもある。彼は農業に人一倍強い思い入れがあり、農業の情報化を自ら進めるために「ひまわりネット」を構築し、”科学する農業”を推進した。この取り組みの一部が富士通の農業システムであり、JA全農のアピネスなどにも取り入れられている。この時、全国の農業者がこぞって「ひまわりネット」の会員になり、経済連職員であった私も例外でなかった。

 今から21年前のことである。

 この3月11日に発足した「NPO法人 坂の上のクラウド利用研究会」は、これらの経験の上に設立したものである。

 

日本一農家のハイテク技術

実は、この本の中に母のことが「ミカン作り名人おばあさん」として書かれている。

著者の一ノ瀬さんは、何度か私の実家(現:あらし山)に来られており、それをベースに書かれたものである。

懐かしい母の想い出である。

   今も昔も変わっていないが、それにしても凄い内容だなぁ。

   当時私が経済連職員であったため、著者の一ノ瀬さんは私に配慮して原本には大洲市となっている。

------------- P173〜P177 -------------------------------------------------------

「ミカン作り名人おばあさん」

 肝心なのはハードウエア、つまり仕掛けじゃありません。そんなものはなくてもうまくやってるところはあります。その好例として、愛媛県八幡浜市の清水キミ子さん(六十八歳)というミカン作り名人おばあちゃんを紹介しましょう。

 彼女は元小学校の先生。お兄さんが戦争で亡くなったため、結局、彼女が教師を辞めて家業である農業を継ぎ、養子を貰われたとのことでした。長年にわたって農作業日記をつけておられ、それが段ボールに一杯になっていました。

 それを見せてもらったところ、非常にキメ細かに記録されたもので、私は驚いてしまいました。それがあると、昨年はこうだった、その前はこうだった、今年の葉の色がちょっと違う、だから今年はこうしよう…‥・というようにデータにもとづいて具体的に作業を変えられます。

 それが成果を生むのです。

 ミカンの剪定の方法も清水さんのやり方は、独自のものでした。

「農協の指導通りに彼らがいう暫定で枝を切ってしまったら実はならないよ。反対のことをした方がよい。あんな指導は聞かないことが一番」

 と言っていました。農協が指導する方法は、画一的過ぎるのです。植物の栽培法は木により、畑、土質などにより元肥も、窒素などの養分も違ってしかるべきで、農協の画一的なやり方では対応出来ないはずなのです。ところがダメ農家はそれに依存してしまう。これでは成果は上がりません。

 でも農協とはいろいろな面で付き合いがあるわけですから、指導員が指導する方法を無視するわけにいかない。ダメ農家はそのため義理で付き合うという部分もあるでしょうが、それによって植物がうまく育ち、期待通りの結実を見なければ、損するのは自分です。対面や義理どころじゃなくなります。

 この点、優秀農家は、一応相手の立場を考えて開いたことにしているけれども実際にはまったく反対なことをしている。あるいは最初から聞かない。両タイプがあります。どちらも結果的には農協の画一的なやり方に従っていないわけで、自分が研究したやり方を貫いていました。

 清水さんもそんな一人でしたが、彼女が独善に陥っていない証拠に、彼女のミカン園に行ってみたところ、枝がやわらかくて、たわわにミカンがなっていました。その一つをとって実際に食べたミカンのおいしかったこと。一千億円をかけた給水システムで育てたミカンとは比較にならないほどの味でした。

 農協が指導する剪定では、杖が硬くなってしまうのです。コチコチになってしまう。それはやり方が間違っているということです。でもその普及をやめようとしない。いったん決めた指導方針を曲げることは体面上出来ない。実際に指導に当たる指導員が疑問を持っているとしても、上司の手前それには逆らえない。こんなことで硬い枝、そしてまずい味覚になってしまうのです。ミカン栽培で一千万円の納税をしている田中さんも言っていたことですが、ミカンは枝がしなやかに曲がり、ぶら下がった恰好で実がなるところに糖が上がるのだそうです。農協のやり方は、この肝心な点を無視しているのです。

 ではなぜ農協はそんなやり方を押し通そうとしているのか。ミカンは通常は隔年結果といって一年おきになるのです。そこでそれを避けるために、少しなりを抑えて、毎年平均してならそうという考え方をしているからです。

 これはこれで正しいと思います。いちがいに否定出来ません。収益の安定化という観点から見るとそれなりの評価が出来ます。それに対して田中さんなどは、樹に任せて、なった時はなった時、ならない時はその時でいいという考え方をしています。

 通年で経営が安定するならいい。その代わり、おいしいミカンがなるわけですから、隔年でも十分経営が成り立つ。おいしければ価格が高く、一年おきになってもへっちゃらだというわけです。

 ですから田中さんの園地に行くと、こっちの樹は花が一杯咲いているのに、隣の樹はまったく咲いてないという状態のところがあります。それでも田中さんが平気なのは、規模が大きいこともあります。何しろ二十七ヘクタール以上ありますからね。それだけの余裕があるのです。

 でも規模が十〜三十アール程度では、隔年結果ではガタッと収穫が落ちてしまいます。そのうえ品質が悪く、並みの等級による取引しか出来ないとなると経営にモロに響いてしまいます。ミカン農家としては、暫定一つもおろそかに出来なくなるわけで、清水さんのように、

「農協の指導員の言うことなど聞いていたら、実がならない」は重要なものとして受け止める必要があるのではないでしょうか。ミカン農家にとっては死活問題に関わることなのですから。

 それに彼女に会って感動したことがもう一つありました。清水さんと植物との対話ぶりでした。彼女は植物の世話をしながら、ほんとうにミカンやスイカ、カボチャなどと対話していました。植物のまえに立つごとに実際にことばに出して話しかけるのです。

「おまえ、大きくなれよ。今日はかなりお目様の照りがよくなるだろうから、大変だろうけど、頑張ってね」

 そういう姿勢は、植物を生き物だと心の底から認識しているからです。そこにこそ感動があるのであり、植物の生育も素晴らしいものになり、結実も美味になります。

 植物にことばをかける。そんなことで植物がうまく育つはずがない。それこそ科学する農業から外れるじゃないか。こんな反論があるでしょう。でもこんな例もあるのです。

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金次郎さんに学ぶ天候予測

 金次郎さんが生きた天保時代と今がよく似ているというのが私の持論である。

 事実、1700年代に噴火したのは富士山(1707)三原山(1775)櫻島(1779)浅間山(1783)で、噴火していないのは富士山だけである。

 さらに天明と天保の飢饉の気象状況は、暖冬で雪が少なく春と夏が低温多雨で、今でいう異常気象であった。

 この時、金次郎さんは昼食のおかずのナスが初夏だというのに秋ナスの味がしたことに気づき、イネや道端の草を調べると葉の先が衰えていることから、その年の天候は陰気なので作物は実らないと直感した。

 金次郎さんは、陰陽のめぐりあわせから気象を判断できたらしく、百姓たちを集めて、地下にできる芋、大根、カブなど飢饉に強い野菜の種や冷害に強いヒエを播き、そのヒエが実ったら必ず蓄えておくように指示をした。

 しかし、百姓たちは”どうして今年のコメの豊凶を初夏の頃から知ることができようか? そんなにヒエばかり作っても誰も食べたがらない”と囁きあったという。

 やがて金次郎さんが予想したとおり、盛夏になっても雨が降り続き、冷害によって凶作になったが、金次郎さんの指導のもとで一人の犠牲者も出さないで済んだ

 まさに、これこそが農業のインテリジェンス(智慧)で、「経験(K)+観察(K)+(K)洞察力」である。

 これを「農業の3K」といい、これを育むために愛媛県で産官共同で開発した「農業用気象クラウド」の実用化に取り組み、農家の農家による農家のための気象情報を配信すべく「NPO法人 坂の上のクラウド利用研究会」を設立した。

 金次郎さんの時代には無かったIT技術や便利な道具は揃っているが

 果たして、今の農家や農業技術者は、金次郎さんの「インテリジェンス農業」に敵うかどうか!

 This is Question !


お〜い雲よ、どこへ行く

 ”秋には入道雲は見えないの?”と尋ねられたことがある。空にすじ雲やうろこ雲などの横に広がる雲が現れると秋だなと感じるが、夏の雲は入道雲のように、強い日差しで地面が熱せられて発生する積雲や積乱雲が空の主役である。そう言えば、夏に勢力が強まるはずの太平洋高気圧が、今年は遅ればせながら秋になって勢力が強くなり、いつまでも残暑のような天候が続いた。そのために空の主役は、ずっと積雲や積乱雲などの夏の雲であった。
 雲の形は十種雲形といって十種類に分けられている。モクモクとした状態を「」、霧のような状態を「」、乱れた状態を「」、つぎに雲の背の高さの順に「」「」として、これらを組み合わせることで十種類に分けている。この雲の分類は19世紀の初めに、イギリスのハワードによって作られたものである。
巻積雲
   【巻積雲(あらし山)】
 積雲英語でキュムラスといい、ギリシャ語の「ものを積み重ねる」という意味からきている。乱雲ニンバスといい「雨雲」が語源で、これを組み合わせて、積雲が雨を降らせるまでに発達した雨雲が積乱雲である。春・夏の雲は対流が盛んになることによって発生し、このときの大気運動は上下方向である。秋になって上空に偏西風が吹くようになると、大気の運動は西から東へ水平方向に変わる。偏西風の波動で発達した低気圧が接近してくると、上空にはまず巻雲(すじ雲)が現れ、しばらくするとうろこ雲・いわし雲の巻積雲、うす雲の巻層雲が広がってくる。層雲英語でストラタスといい「横に広がる」が語源である。
 雲は春・夏には縦に伸び秋には横に広がり、雲が季節を描いていく。
 このように雲は季節によってその姿を変え、空に四季折々の絵を描いていく。

層積雲
    【層積雲(あらし山)】
     「おーい雲よ
      悠々と
      馬鹿に呑気そうじゃないか
      何処まで行くんだ
      ずっと磐城平の方まで行くんか
」(山村暮鳥)

 

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