あらし山の風

雲の変化を愛でて、自然の移ろいを語り、人生の機微を楽しむ。ある時はミカン山から、ある時は雑踏の中から、雲の変化の如く・・・。
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処士(志)の意味を問う!

 11月23日(木)のことである。

 小説「中江藤樹」を書かれた作家の童門冬二さんと大洲市民会館でお会いすることができた。

 これは童門さんが大洲藩主加藤家-中江藤樹大洲入り400年事業で大洲市民大学に講演に来られることがわかり、特に辻先生にお願いして実現したものである。

 年輪塾では歴史上の人物を検証しながら自己研鑽をおこなっているが、二宮金次郎、ジョン万次郎に続いて中江藤樹先生を学んだ。その最初のテキストとして使用したのが「小説 中江藤樹」であった。

 この「小説 中江藤樹」に書かれていた「処士」に感動し、”処士になりたい”と叫んだのが当時県庁職員であった眞鍋さんである。

 小説には中江藤樹先生が「大學」を読んで感銘し、「処士」になろうと志を立てられたことが書かれていた。

 ゛「処士」というのはある程度の土地とか家屋などの財産を持っていて、生活するのにそれほど困らないという立場でありながら、自分の学説を国の外に出て説いて回る人々。「処士」というのは、この世に対する立身出世の私欲を捨てた存在だ。自分のまわりで暮らす人々の安寧だけを願っている。”

 その後、年輪塾では「中江藤樹学」の成果として、処士(志)の検定制度”をつくり、これを年輪塾の”修士課程”としている。

 年輪塾でいう処士(志)は、「大學」の素読と講釈ができる程度の学力を有し、処(ところ)を得て「志」を立て実践する

者をいう。「処志」となりたいものは、まず”処志師範”の薫陶を受け師範から推薦されなければならない。そのうえで処志検定試験を受けることになる。

 世の中には、ともすれば”本末転倒”になることが多い。

 大學には「物に本末あり、事に終始あり。先後するところを知れば、則(すなわち)道に近し」とある。

 仕事でも地域づくりでも、現象捉えるのみで学んでいることの多くは各論ハウツウであったりするすることが多い。

 人生においても仕事でも、直接的に役に立たない基礎的な学問が必要である。

 年輪塾で調査した二宮金次郎像が持っている本は「大學」であり、中江藤樹先生が感銘したのも「大學」である。

 だからこそ、年輪塾の「処志」になるためには必ず「大學」を自分のものにしなければならない

 

 この日、童門冬二さんにお会いし処志要綱をお渡しすると、小説に書いたことが実際に行われていることに驚かれた

 そして、次のようなことを教えていただいた。

 ・「処士」は現在の中国にはないが、実際に古代の中国において行われていたこと。 

 ・「大學」は論語などに比べると文字数が少ないが、孔子の教えの”唯一の理論書”であること。

  これをマスターすれば誰でも「処士」になることができる

 ・「処士」は、今でいえば経済的にも自立し、民間人だが政治や経済など物事に対してしっかりとした自説を持っており、組織などのリーダーに対して意見具申がキチンとできる人のことを言うこと。昔から大衆は付和雷同しやすく惑わされることが多いが、その大衆を導きアウフヘーベン(高揚)することができる人である。

 ・常に他人の立場にたって物事を考えることができる人でもある。

 

 処志師範の役割は「大學」をマスターする過程で人生の棚卸をし、それでもって新たに”志”を立てられるように導くことである。

 このことを眞鍋処士に続く、上田処志・兵頭処志が大學をマスターする過程で学んだ。

 そうでなければ、年輪塾の「処志」が”看板倒れ”になってしまう

 ”学ぶ”ということは難しい、これを還暦をすぎてから実感した。

 これも、いろいろとご指導いただいた辻先生のお蔭である。

 互いに向かい合って「大學」を通して人生を顧みると、次の人生が見えてくるから面白い!

 私塾とは、こうでなくっちゃ!

 

■作家 童門冬二さんと記念撮影

171123童門冬二さんと記念写真

学びてときに之を習う〜年輪塾「処志」〜

 年輪塾は開塾して10年が経過した。

 10年ひと昔と言われるが、ひとつの区切りであることに違いはない。

 この10年は塾訓にあるように、一期を2年として先人(宮澤賢治、宮本常一、二宮尊徳、ジョン万次郎、中江藤樹)に学んだきた。これらの先人に学びために、それぞれに伝道者を自ら選び出し、従来の内容にこだわらず、自分たちが嚙み砕くように学び、一期毎の終わりには公開セミナーを開くなど記録としても残してきた。

 多くの学びを得たと思ってはいるが、学びの真価はこれからである。

 

【大學】には、次のように書かれている。

 「その心を正しうせんと欲する者は、まずその意(こころばせ)を誠にす。

  その意(こころばせ)を誠にせんと欲する者は、まずその知を致す。

  知を致すは、物を格(ただ)すにあり。

 〜ここにある”意(ここばせ)”というのは、心の在り方である。

  「知を致す」ということは、知識を得て知恵に至るということである。

  「物を格す」とは「自分自身を正す」ことである。

  (自分も物の一つであり、突き詰めていえば自分を正すことになる)〜

 

『二宮翁夜話』には【大學】のこの一節について、下記のように記されている。

  ”まず智をみがき、礼を行い、義を踏み、仁に進むがよい。

   それゆえ大學では知をいたすを初歩としている。

   瓦というものは、みがいても玉にはならぬ。

   けれども幾分、光を生じて滑らかになる。

   これが「学びの徳」なのだ。”

 

『知行合一(ちこうごういつ)』

   【大學】には、

  ”知るというは行いの始めであり、行いは知るということが成ったものであって、実はこれは一つである。

  だから、行わなければ本当に知ったとは言えない”とある。

  これを「知行合一」といい、「知る」ことは「行う」ことと一つである。

 「二宮金次郎」は、この「知行合一」(知識と行動の一致)を自ら実践し、道徳に基づいた社会づくりを行い、豊かな実りと心の

  芳醇をもたらした人である。

 「道徳なき経済は悪であり、経済なき道徳は寝言である」という言葉は、掛川の大日本報徳社の経済と道徳の門となっている。

 

 もとより『知行合一』を実践するのが、年輪塾の「処志」である。

 もともとは「中江藤樹学」の中で、童門冬二さんが書かれた「小説 中江藤樹」にある「処士」を年輪塾流にしたものである。童門さんは、”君子=処士”と描かれているが、これを「知識」と「志」の検定をもって認定制度化した。

 年輪塾流の『知行合一』を実践するためには、「処(所)」いわゆる活動拠点を持ち、成し遂げる「志」が必要であるとの意味で「処志」が誕生した。

 今年の6月に「処士検定」(このときは処士だった)を実施し、第一号として眞鍋塾生が合格し「処士認定」を受け、処士の看板が若松塾長より授与されたことは記憶に新しい。

 さらに12月17日には、若松塾長が年輪塾の「処志」総括として人間牧場に看板を掲げ、辻先生と私が「処志」師範の認命を受け、この10年の学びを礎として新たな展開を行うこととなった。

 これから「処志」による年輪塾の私塾ネットワークが始まる!

 

■年輪塾「処志」総括看板を人間牧場に掲げる!

161217年輪塾「処志」総括看板

■年輪塾「処志」についての想いを語る若松塾長

161217年末塾にて

「年輪塾」十年の計

 若松進一さんが人間牧場を開設されて十年がたち、その水平線の家で、年輪塾公開セミナーを開いた。
 この10月3日のことである。
 年輪塾は、人間牧場と同じ時期に開塾し、早いもので足かけ十年が経とうとしている。
 この間、歴史的な先人に学ぶということで、5回の公開セミナーを開催した。
 第一回は、農民詩人でもある有機農業で有名な星 寛治さんを招いて、「宮沢賢治と私」というテーマで、農民芸術論を語っていただいた。
 第二回目は、民俗学の「宮本常一」を取りあげ、ノンフィクション作家の佐野眞一さんをお招きした。
 第三回目は、経済の視点ということで「二宮尊徳」を取りあげ、七代目のご子孫である中桐万里子さんをお招きした。
 第四回目は、土佐の偉人「ジョン万次郎」を取りあげ、市井のジョン万次郎研究家である青野 博さんにいろいろと教えていただいた。
 第五回目である今回は、地元学をということで、大洲の「中江藤樹」を取りあげ、中江 彰さんをお招きした。

年輪塾公開セミナー
   塾頭として、事にあたったが、自分の人生の棚卸しをしたようなものであった。
 出会いは、不思議なものである。
 まず、「二宮翁夜話」と出会った。
 自分なりに解釈した資料を編さんし、年輪塾のメーリングリストで配信した。
 この作業の中で、二宮金次郎の人となり、その思考法を学んだ。
 続いて、「学校の二宮金次郎像」の調査である。
 塾生全員が手分けをし、愛媛県内の全ての学校の金次郎像を、くまなく調べ上げた。
 この時に出会ったのが、「大學」である。
 金次郎像が手にしている本の内容は、全て「大學」の一節であることがわかった。
 さらに中江藤樹を学ぶうちに、なにごとも「大學」が基本であるということに気がついた。
 朱子学や陽明学だという人もいるが、”金次郎さん”も”与右もんさん(藤樹先生)”も、ともに学者が嫌いである。
 それではということで、 「大學」の素読を思い立ち、年輪塾で素読を始めた。
 門前の小僧で、読んでいるうちに、わかったような気になるから不思議である。
 
 「大學」に書かれていることは難しい。
 藤樹先生は、それを誰にでも分かり易い言葉にしている。
 それが、「五事を正す」である。
 地元の大洲藤樹会の辻会長に、扇子に書いていただいた。
 もちろん、辻会長は年輪塾の塾生でもあるが、文武両道の人である。
五事を正す
 この「五事を正す」こそが、年輪塾の十年の計である。
 私は、常に、十年が節目であると思っている。
 年輪塾のこの十年は、学びの十年であった。
 継続といいながら、変化しないものは続かない。
 年輪塾の開塾の目的のひとつは、「私塾ネットワーク」であった。

 まず、この十年にやり残したことを片づけたいと思う。
 ひとつは、宮本常一を学びなおすことである。
 二宮金次郎、ジョン万次郎、中江藤樹の目線で、宮本常一を捉え直したい。
 そこに、大きな学びがあると思う。
 二つめは、ジョン万次郎の”英語についてである。
 ジョン万次郎の功績の一つであるが、今、注目に値すると思っている。
 三つ目は、「論語」の現代語訳と解釈資料の配信である。
 年輪塾で、ひととおり全部、読み終えたい
 断片では、孔子の全容がわからないからである。 
 最後に、出来るかどうかわからないが、年輪塾の「処士」の資格をつくること。
 年輪塾も修了ということも考えていいのではないかと思う。
 まず、「大學」の素読と解釈ができることが学科で、知行合一のなかで実践していくことが実技であり、「五事を正す」ということも含まれる。
 修了者(処士)が、これから私塾ネットワークを形成していくことになるのではないか。
 なにごとにも節目は大切である。
 この年輪塾の十年、やっと重いものをおろせたような気がする。
 これからは、ひとつ、ひとつ、整理して、落葉樹が葉を落としていくように過ごしたい。
 人生には限りがあり何事も引き際が肝心である

 

学びて時に之を習う

 久しぶりに神戸に行った。
 JA兵庫中央会から県内JAの監事研修を依頼されたからである。
 この研修は7月に開催される予定であったが、台風のために延期され9月1日となった。
 前日に大阪での仕事の打ち合わせと、還暦の年に行けなかった”お伊勢参り”を済ませ、遠回りながら神戸に入った。

 研修のテーマは、「坂の上の雲に学ぶ、食のリスク・マネジメント」。
 小説「坂の上の雲」に登場する愛媛の先人に学び、愛媛の取り組み事例を検証するというテーマ設定である。
 今回は、秋山真之が、旧態然とした海軍を、世界に名だたる海軍に育て上げた教育プロセスを学びながら、JAの食に関する事業のリスク・マネジメントを学習するという内容設定にした。
 リスク・マネジメントは、決して難しいものではない。
 いつでも、難しくしているのは学者や評論家である。 
 要は、リスクを認知し、学習回路をどうつくるか、どう機能させるかである

 故:ピーター・ドラッカー、「マネジメント」の中で、こう言っている。
 --- フィードバックがなければ、望ましい結果が生み出されることなど、まずありえない ----

 そして、二千年前に孔子は、こう述べている。
  --- 「子曰、學而時習之」 学びて時にこれを習う ---

  常に学ばない組織は衰退する!
 JAよ、あなた達はどうだ!
 
・・ということだが、学んだのは、実は私自身だった。
 フリーになって初めての仕事だったが、本当に勉強になった。
 それは、中江藤樹先生の言われる「」である。
 孔子の言う「習う」は、「稽古」でもある。

 

  学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや。
  朋あり遠方より来たる、また楽しからずや。
  人知らずして慍(うら)みず、また君子ならずや。


 先人に学ぶが、年輪塾の塾訓である。


JA兵庫中央会監事研修

一隅を照らす

 先日、京都の青蓮院という寺院に立ち寄った。
 このお寺は天台宗比叡山延暦寺の三門跡の一つで、天皇の皇子が住職となった古くから知られた寺院である。
 この青蓮院で一枚の金色の屏風の前に立ち止まった。
 そこには、こう書かれていた。

 「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。
  道心ある者を名づけて国宝と為す。
  故に古人言わく、径寸十枚、是れ国宝にあらず、
  一隅を照す、此れ則ち国宝なりと」


 これは、伝教大師 最澄が僧侶を育てる学校の規則を定めた「山家学生式」にある言葉である。
 この「一隅を照らす」という言葉は、中国の故事による。

 魏という国と斉という国の王が狩りをしている時に、ばったりと出会った。
 そのとき、魏の王が
 「私のところには、よそにはないような立派な玉(ぎょく)がある」と言ったという。
 さらに、その玉は径寸といって、直径が一寸、今でいうと三センチメートルもある大きな玉であると。
 「この玉は非常に光が強くて、兵車十二乗を照らすことができる。
  私の国にはこういう玉が十個あり、これが宝の最たるものである。
  しかし、あなたの国は大変に大きい国ですから、
  立派な宝がたくさんあるでしょう」と、魏の王は、斉の王に聞いた。
 すると、斉の王は答えた。
 「私のところにはそういう立派な玉はありません。
  しかし一隅を照らす者、たとえば農業ならば農業、外交ならば外交と、
  それを担当させれば、立派に責任を果たす非常に優れた家臣が各所におります。
  これが私どもの宝です
  それを聞いた魏の王様は、恥じ入ってしまった。

  これが「一隅を照らす」の故事である。
  人材は宝であり、一隅を照らす人格を備えた人間がいれば周囲を照らしその徳に次第に人がなびいて集まってくる
  人生の晩秋に向かい、深く肝に銘じたい言葉である。
  これからの「志」としたい!


一隅を照らす

フェィド・アウェイ

   平成27年3月31日。
 今日で、足かけ40年にわたる農協組織での仕事を終える
 宮沢賢治に憧れて、学校では農芸化学を専攻し、
 昭和51年に、土壌肥料の技術者として、愛媛県経済農業協同組合連合会に入会した。
 以来、現場に生き一技術者として終えたことは本懐である

 " Old soldiers never die, but fade away. "
 一般に、"老兵は死なず、ただ消え去るのみ"と訳されているが、
 マッカーサーの米議会での最後のスピーチとして知られる、この言葉は英米の軍歌の一つとして親しまれたものであるらしい。
 「マッカーサーが後任にすべてを譲りさわやかに身を退きたい」という意味であるといわれる。
 しかし、本文では、老兵は「去る」などとはまったく述べられていない。
 老兵は、「fade awayする」と述べている。
 老兵は輝かしい戦功を残そうが残さない場合があろうが、多くの戦いを戦ってきた。
 その魂は永遠に生き続けるのであり、たとえ肉体はフェィド・アウェイしたとしても、その心は皆さんとともにあるのだ、というような意味である。

 終わりは、始まりでもある
 これからは、宮沢賢治の羅須地人協会をお手本したいと思う。
 これが、自分流の報徳であり孝行である。
 伝えたいことは、いっぱいある!

あらし山の桜

【あらし山 清見タンゴールと桜 2015.3.31】

ナチュラル・ハイジーン

 4月15日に松田麻美子先生をお招きし、「ナチュラル・ハイジーン講演会」を開催した。
 講演テーマは、「いつまでもスリムで健康でいるために」である。
 松田麻美子先生は米国ヒューストン在住で、日本各地で講演会をされ、お忙しいなかをスケジュールをやり繰りいただき松山まで来ていただいた。
 松田麻美子先生とは、愛媛みかんの消費拡大をと講演会を企画したのが、ご縁である。
 松田麻美子先生の話を聞いた柑橘生産者たちが、「朝フル」(朝食を果物のみでとる)を始め、私は10kg余りの減量に成功した。
 あれから、もう十年になる。

 
松田麻美子先生
それにしても先生はお若い!

 ナチュラル・ハイジーン」とは、アメリカの医師たちによって生まれた健康理論で、1987年にアメリカで出版された書籍『FIT FOR LIFE』によって、広く知られることとなった。
日本では当初「ライフスタイル革命」として出版され、現在、グスコー出版から「フィット・フォー・ライフ」として出版されている。
 いずれも松田麻美子先生の訳著である。
 「ナチュラル・ハイジーン(Natural Hygiene)」は、日本語にすると「自然健康法」といったところであろうか。人間の体に、健康のために必要な条件を与え、傷つけるものを与えないことによって体内外の衛生を保つというものである。
【必要な条件】
  新鮮な空気と水
  体の生理機能構造上ふさわしい食事
  十分な睡眠や休養
  適度な運動
  日光
  ストレスマネージメント


 この空気・運動・日光の3つの条件は、空気のきれいな時間に30分以上の有酸素運動(ウォーキング)を週5日行えば満たすことができるが、睡眠、休養、ストレスマネジメントの必要性については、よく知られているとおりである。
 「ナチュラル・ハイジーン」で特徴的なのは食事法である。
 これまで、
 ・一日三食しっかりとる
 ・蛋白質、炭水化物、脂質の三大栄養素をとる
 ・いろいろなの種類の食品をバランス良くとる
  ということを聞かされてきた。

 「ナチュラル・ハイジーン」の食事法は、今までの食生活の常識を覆すような方法である。
   午前中は果物のみを食べ
   生野菜を中心の食事にする
   動物性蛋白質は控える
   精製加工食品は食べるべきではない


 さらにナチュラル・ハイジーンの食事法は、1日24時間を8時間ずつ3つに分けたサイクルにしたがって定められている。
  午前4時〜 正午  → 排泄(解毒)の時間
  正午 〜 午後8時 → 摂取と消化の時間
  午後8時〜午前4時 →  吸収と利用の時間


 午前中は、排泄の時間であるために、ナチュラル・ハイジーンでは、午前中に朝食として果物を好きなだけ食べる。生の果物は、消化に負担がかからないだけでなく、食物酵素が消化を助ける。
 つまり、「フルーツで朝食を」で、「朝フル」である。
         ↓    ↓
http://www.arashi-yama.net/asafuru/anshin.html

 そうだ!
  原点に返らなくっちゃ!

朝フル健康セミナー

 

学びにおそき時はなし

  昨日、電話が鳴った。
 愛南町の上田来喜さんからである。
 ”明日、行きますのでよろしくお願いします”とのこと。
 ありぁ〜、すっかり忘れてたぁ!
 石鎚みすゞコスモスから、「金子みすゞ 生誕110年によせて 金子みすゞ物語」のご案内をいただいてたんだぁ。
金子みすゞチケット
 来喜さんは、もう常連である。
 年輪塾で一度、石鎚みすゞコスモスの催しで、「金子みすゞ」と出会ってから恒例行事のように参加されている。
 それも愛媛県の南端の愛南町を朝6時に出発し、片道4時間をかけて新居浜市まで、日帰りでやってくる。
 今年は、少し趣向が変わり、矢崎節夫先生が「金子みすゞ」を発見した原点に帰った内容であった。
 一龍斎春水先生の講談、らくさぶろうの朗読、そして矢崎節夫先生の講話と続き、あらためて「金子みすゞ」と再会したような気がした。
 今回は、特に一人娘の”ふさえ”さんにお会いできた。
 86歳になられ、命を賭して娘を守ったお母さんの真意がわからず悩まれたこと、やっとお母さんと向かい合うことができたこと、などを話され、感無量でお聞きした。
 まさに、心が洗われるひとときであった。

 金子みすゞの詩もさることながら、矢崎節夫先生のお話が実にいい
 矢崎節夫先生のお話を聞くために、毎年、参加しているようなものである。
 そのまなざしが実にやさしく、温かい。
 かくありたいと思って帰るのだが、いまだ実行できないでいる。
 今日は、仏教でいう空(くう)についてわかった気がした。

 歳を重ねないとわからないことがある。
 ありがとう、来喜さん、電話をいただいたお陰です。
 お礼に、主催された石鎚みすゞコスモスの矢幡代表とのツーショットをお送りします。

上田来喜さん
 

5年ぶりのワークショップ

 膨大な資料を渡され、研修と称して一方的な説明は無味乾燥で、つまらないものである。ましてやコンプライアンスリスク管理など、あれをしてはいけない、これをしてはいけないなどということになれば、更に倦怠感が増す。ましてや農産物の生産や販売、農産物の生産に要する資材を供給するなど農協の現場の職員となれば、これは我慢比べであるとしかいいようがない。
 昨年、リセット&再起動をして再び職に就いたが、川の畔に牛を連れてきて水を飲ませる故事や”北風と太陽”の話を思い出した。ヒトは意識する動物である。どう認識するか、どう認識させるかが問題である。
 先週、農協の支所長や事業所長など現場の管理者を対象に研修会を開いた。内容は難物のコンプライアンスやリスク管理である。担当したのは農産物の生産や販売、資材の供給など営農経済事業の現場の管理者である。

経済事業ワークショップ(1)
 思い切って、「ワークショップ」をしようと思い立った。
 "workshop"は一方通行的な知識や技術の伝達でなく、参加者が自ら参加・体験し、グループの相互作用の中で何かを学びあったり創り出したりする、双方向的な学びと創造の場である。最近は問題解決やトレーニングの手法、学びと創造の手法として、あらゆる分野で「ワークショップ」が行われている。元々は「仕事場」「工房」「作業場」など、共同で何かを作る場所を意味してらしい。ファシリテーターと呼ばれる司会進行役が、参加者が自発的に作業をする環境を整え、参加者全員が体験するものとして運営される。企業研修や住民参加型まちづくりにおける合意形成の手法としてよく用いられている。
 直前まで、”意見がでるのか”、”本当にできるのか”不安で、参加者も最初は何をするんだろう、どうなるんだろうと表情が硬かったが、話し合いに入った途端、俄然、活発で賑やかになった。まさに、案ずるより産むが易しである。

経済事業ワークショップ(2)
 テーマは、それそれの職場での業務に障害があるもの、問題などを洗い出して特定するというものであるが、農協の経済系なので「リスクの棚卸し」ということにした。
 やればできるんだ。
 ”参加させられてやらされる”より、”参加してやった”ほうがいいんだ。
 農協も地域づくりも同じで、元々はヒトなんだということに改めて気が付いた。
 ”話し合うこと”、”話し合う場”が大切なんだと・・・・。
 このような”話し合う場”が職場に欠けているような気がする。
 よ〜し、いっそのこと"workshop"のオルグでもやるかぁ。

 「ワークショップ」は、財団法人 えひめ地域政策研究センターに5年間出向していた頃に、地域づくりの人たちと一緒に習い覚えたものである。
 門前の小僧であるが
 実に、5年ぶりの「ワークショップ」、そしてコーディネーターだった。
 人生にはムダがない。

みすゞさんとダイダイと・・豊予海峡

  関西汽船で小倉まで、小倉から仙崎までJR普通列車で仙崎へ。
 目的地である仙崎は、詩人金子みすゞさんの故郷である。
  鈍行はいいなぁ、それも目一杯貸し切りだぁ。
 途中からギターを出して、みんなで金子みすゞさんの「このみち」の練習をする。
  ”このみちの先には、大きな森があ〜ろうよ”
  ”みんなで、みんなでゆこうよ、このみちをいこうよ〜”

 それから一人弾きを楽しむ。
 鈍行はいいなぁ、ランブリン・ホーボーだぁ。

仙崎にて【仙崎 極楽寺にて】

 仙崎の町に着くと、なぜか懐かしい気がした。
 いつか来たことがあるような・・・。
 そうかぁ、港町特有の匂いがするんだ。
 八幡浜にも三津浜にも同じ匂いがあり、雰囲気がある。
 歩くと、昔の隆盛の名残やみすゞさんの面影が路地裏から覗いたりする。
  ”遊ぼうっていうと 遊ぼうっていう”
   ”ばかっていうと ばかっていう”

  ご案内いただいた草場さんのガイドが実にいい。
 みすゞさんの詩が好きでたまらないという感じで、笑いながら、ここにもあそこにもと詩作の舞台を教えていただいた。
 こうでなくっちゃ。

松下村塾にて 【松下村塾にて】

 翌日、起きると見る間に雪が積もる。
 今も現役の小学校である明倫館を見学、威風堂々とした姿はさすが長州藩校だけある。 
 龍馬の訪問、萩の乱など維新回天の現場がそこにあった。
 それから二十年ぶりの松下村塾へ
 私塾のかたちが間近にある、学問の基本は実学なんだぁ。

萩のダイダイ 【萩のダイダイ(夏柑)】

 雪景色の萩に出会うとは、なんて運がいいんだろう。
 夏みかんに雪が積もっている。
 ここでは、夏みかんを”ダイダイ”というらしい。
 わが地元の西宇和地方と同様である。
 我が家は、古くからダイダイ(夏柑)を栽培していた。
 祖父がダイダイの一反で、一年の家計が賄えたと言っていたことを思い出した。
 一家総出でダイダイを採り、カマスに詰めて段々畑を”負いこ”で背負って運んでいた。
 ダイダイ採りは初夏の光景である。懐かしい。
 ダイダイは明治の頃、仙崎から萩を経て三崎半島に、わが西宇和地方に伝播したのかもしれないな。
 この雪が日本海から関門海峡を経て、南予に雪をもたらすように。
 そう言えば、萩の直売所で”フカの湯ざらし”を見かけた。
 聞くと、酢みそで食べる習慣があるらしい。
 蒲鉾・ちくわの主原料はエソ、フカの湯ざらし、ダイダイ・・とくると、
 どうやら我が西宇和地方の産業と食文化は豊予海峡を渡ってきたらしい。
 豊予海峡交流の旅は、わがルーツをたどる旅でもあった。

ちろりん農園 西川さんと 【永遠の酔っぱらい西川さんと】

 

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